6/19(金)~21(日) 馬&旨を探しに会津地方を散策してきました。
競馬が無観客・会社が一時帰休・県外移動解禁、と三拍子が揃ったことから、ふだん手の届かない地域(=競馬場のない地域)へ行く企画の1回目。夏の福島開催は毎年かかさず遠征してますが、会津地方は人生で初でした。今日はその散策、前編。
🦢🐢猪苗代湖🐢🦢
最初の訪問地は猪苗代。夕飯&宿が会津若松だったので、時間的に遊覧船に乗るか悩んでたんですが、訪問の3日前に運航会社・磐梯観光船がまさかの倒産。昭和天皇・皇后がお二人のダイヤモンド婚のお祝いをしたのも、下のはくちょう丸だったそうです。原発事故で客が大きく減って今回のコロナで資金が回らずに倒産。非常に残念ではありますが、見納めの2人(二隻)に会いたくなり、あえて哀愁漂う翁島港まで行ってきました。りある白鳥もいましたが、心なしか寂しそうな表情です🦢🦢🦢
⇒ 遊覧船事業は無くなっても、このはくちょう丸とかめ丸はこのまま停泊させて、必要な人にレンタルさせてあげればいいのにね。誰かクラウドファンディングやってくれないかな?
🐴🍜七日町&馬力本願🍜🐴
夕飯は七日町と決めていたので、猪苗代→会津若松で降りずに七日町駅で下車。江戸の城下町と大正ロマンの交錯する通りを散策しました。駅舎、お洒落でしたね。通りの雰囲気は良かったけど、特に欲しいものはなく冷やかしただけ、ぶらぶら歩いて1~2時間って感じでした。
⇒ 白虎隊の印象が強いですが、野口英世(猪苗代に生まれ、会津若松でも働く)もこの街の信仰の対象ですね。至る所にゆかりの地がありました。猪苗代の野口英世記念館は時間の都合でスルーしました。
いい感じに時間が経ったところで、行きたかった会津馬味噌ラーメン・馬力本願 が17:30 に開店。路地に隠れて待ってたのですが、暖簾が出た瞬間に入らせてもらいました。
⇒ 事前にちょっと調べてたのですが、馬肉が食べられるようになったのは1868年戊辰戦争で「各方面から傷病者が運ばれてくるので、日新館を臨時病院に宛てて収容し、幕府の医者・松本良順が院長として、蘭法治療を施した。このとき、牛馬を屠殺(とさつ)して、患者に与えたのが、会津地方における肉食の始まり」(平石弁蔵著『会津戊辰戦争』)とのこと。厳しい戦禍の中で生きる手段としてできた食文化のようです (その後、1955年 力道山がこの地を訪れた際、生で馬肉を食べたことから馬刺しの習慣も生まれた)
ラーメンは素直に馬かったです。やっぱり馬の味がした。馬肉が入ってるだけではないんですね、見ての通り馬骨スープ、会津味噌、そして麺は喜多方というまさに会津地方の地産地消。喜多方ラーメン専門店でも良かったけど、これは一石三鳥くらいの価値はあります。
おまけに箸も会津塗、コースターまで会津の布?下の写真だと馬肉が埋もれてしまってますが、中にはたくさん入ってました。豚スープのこってり感はないですが、馬なりのこってりがありますね。会津の全てを食せた気分です。おすすめです🐴
♨️🍁♨️東山温泉♨️🍁♨️
金・土とも宿は東山温泉でした。会津若松の郊外、周遊バスで210円。市街地からこの近さで、この景色。会津武家屋敷までは市街地エリアって感じですが、その先の信号から一気に田舎、一気に温泉街でした。バスに乗ってて景色の移り変わりが衝撃的。
⇒ 上はドラマなどによく使われるらしい“向瀧“旅館です。江戸中期からの木造、国の登録文化財。
僕の宿は右下の「庄助の宿 瀧の湯」から150m、庄助系列の「Yukkura Inn」(素泊まり) だったのですが、瀧の湯の共同施設は全て利用できるという特典付き。滝を見ながらの源泉かけ流し、風呂上がりに無料のビールサーバー&ソフトクリームありと、これで素泊まり4,000円はかなり安いと思いました。バス停も庄助の目の前というのが良かった♨️
🏔🏯鶴ヶ城&飯盛山🏯⛰
翌朝 7:30のバスで鶴ヶ城へ。観光案内所の人だけ朝の支度してましたが、それ以外は人を見かけず、鶴ヶ城独り占めしてる気分でした。朝飯を食べて、競馬の予想を終えたところで、犬の散歩やランニングの方がやってきました。下は、至福の朝食の様子。
金沢の時もそうでしたが、やっぱり城は早朝に散歩が1番ですね。この高さです、僕は天守閣の上まで階段を上りたいとは思いません。エレベーターあるならいいけど。
コロナの影響で周遊バスの本数が少なく、観光案内所オープンと同時にレンタサイクル(1日500円)を借りました。鶴ヶ城→飯盛山が15分、飯森山→会津若松駅は残念ながら駅前には返却所がなく、会津町方伝承館で返却して駅まで徒歩10分です。
下は飯森山から望む鶴ヶ城。
史実は学んでましたが、改めてここに立って、なんとも言えない感情が込み上げました。まだ150年前のできごとです。
ちょうど赤の矢印の場所に天守閣がありますが、その前に変な赤白ポールが立ってて、、、調べたら、NHK福島放送局のラジオ放送用アンテナなんだって。会津若松を象徴するこのアングルの線上、どうしてもここにアンテナは必要なのか??
⇒ 一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して(実際に燃えていたのは城下町である)悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという (Wikipediaより)
上は飯森山の有名なさざえ堂、下は白虎隊記念館。さざえ堂はYouTubeで360度VR体験できますよ。記念館前には年老いた看板猫がいました。君の先祖は何年前からいるのかな?150年前にはいたのかな??飯盛山の散策を終えて、次は旅の目的地・会津競馬場跡地です。
後編に続く。
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