波瀾万丈の16年、最期の戦い【追記有】

捨て猫 チョロ🐈
猫生 最期の総仕上げ

元捨て猫。うちの毛むくじゃらの家族が死にそう、と母より連絡あり。今日、会いに行ってきました。妹、姪っ子もかけつけ、家族会議も兼ねて。

今年4月、家猫の平均寿命16歳を迎えて喜んでたのも束の間、秋を迎えて一気に衰弱したようです。先週から水しか飲めなくなってたみたい。病院の診断は老衰、寿命。若くて元気な子でも、水だけだと1ヶ月が限界だって、うちの子の年齢から考えると、持っても来週くらいまでかなぁ。今日の感じだと、もう明日明後日。無理に点滴で延命しません、病院が大嫌いだったし通院は可哀想。

冒頭の写真は、まさに今日の様子です。目がうつろ、前脚、後ろ脚は動かせない、これは厳しい。けど、痛い、苦しいの表情や泣き声はないですね。声をかけると、辛うじて尻尾でお返事はしてくれました。別れ際、“また来るね”って言ったら、目パチリのお返事もしてくれました。水だけで生きてるし、本当に最後の力です、この時ばかりは、私も泣いてしまった😢

人に前世の記憶がない以上、いわゆる輪廻転生、個々の生命に連続性はないと考えるべきなんでしょうが、学生の頃に読んだ、立花隆『臨死体験』とか、その延長で読んだキュブラー・ロスとか、ユングの集合的無意識とか、最新の量子力学から推測するに、肉体とは別に、“霊魂”って言っていいのか、肉体が滅んだ後に残る、何か、はあると思うんですよね。それは、死んだら、より大きな、何か、に還って、また新しい生命を作る要素になる。例えるなら、地球に生命が誕生して以降、個々の生命プログラムのデータを保存し続ける巨大なクラウドサーバーがあって、パソコン本体(肉体)の電源が落ちても、個々のデータはサーバーに残り続けてるんじゃないかなと。それが次の生命が誕生する時に活かされる。また、例えるなら、仏教の説話かなんかで、1つの命を水一滴とすると、死んだら大海原に還って、次の命になる時に、また新しい一滴として生成されるみたいな話。下は手塚治虫『ブッダ』、これは自分が伝えたいイメージの絵ですね。チョロ君も、そうゆう生命の連環の中で、また我が家に還ってきてくれると思ってます。

16年間 家族に癒しを提供し続けてくれて、本当に感謝しかないです。老衰とは言え、これから苦しい時間が続きますが、最後まで、力の限り生き抜いてほしい。日曜まで生きててくれたら、また会いに行きます🐈

 

11/26 追記

チョロ 安らかに霊山へ🗻

11/25(土) 22:30 母と添い寝しながら寝るまでは、声をかけると反応あり、
11/26(日) 1時過ぎ 25の深夜、母の目が覚め、なでてあげたところ、冷たくなってたとの事。

ジャパンCの予想日記の方は前夜に仕込んでたため、まだ生きてると書いてましたが、実際にはJCの朝には亡くなっておりました。最後の最後まで、辛そうな表情や泣き声はなく、眠りながらそのまま、16歳と7ヶ月 老衰での大往生です。11/24まで自分でトイレを済ませてくれて、25日の1回だけのお漏らし、本当に親孝行な子でした。

11/23(木) 妹、姪っ子と私で会いに行った際は、みんなの前で水を飲んでくれて、一時的に、元気に起きて、尻尾のお返事してくれました。つらかったろうに、最後の力だったね、ごめんね😢下は、その時の様子です。周囲に気を遣えるいい子でした、最後の最期まで。本当にうちに来てくれてありがとう、また何処かで会いましょう。

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