皆様、いつもご訪問ありがとうございます。今日は節目のランキングです。
1985年4月生まれ 今月で満35歳。
1993年8月 おばあちゃんにみどりのマキバオーを買ってもらい、競馬に興味を持つ。
1996年春 かねてから行きたいとお願いしてた東京競馬場に、親に連れられ初参戦。
1997年 小6の冬、シルクジャスティスの有馬記念に感動し、完全に嵌る。
1998-1999年 中学で競馬クラブを設立し、エル・グラ・スぺの黄金時代を満喫。
2000年 オペラオー1強で熱が冷め、普通の中高生に戻る。
2004年 一橋大入学(国立市)、大学からほど近い府中に通い始める。
2005年 ディープインパクトの若駒S で全身に電撃が走る。
2006年 競馬研究会設立、共同代表。以後、現在に至るまで、競馬がライフワークとなる。
#ステイホーム。四半世紀の競馬歴の中で、魂が震えた珠玉の10レースをご紹介します。
生観戦とは言えませんが、少なくともリアルタイムで見ていたレース限定です。
(受験勉強中の2002-3年頃はすっぽり抜けてますので)
第1位 日本近代競馬150年の集大成
2012.10. 7 凱旋門賞
オルフェーヴル (2着)
イギリスから始まった近代競馬、100年遅れで文明開化した日本近代競馬150年が欧州の伝統と格式に追いつけ、追い越せと迫った努力の結晶、そのチャレンジの象徴的レース。当日は、大学院の友人と新宿バルト9でパブリックビューイング、大画面を前にオルフェが外から伸びた瞬間、サンデーRの勝負服が旭日旗に見えました。脳裏に焼き付くとはこのことなのか、今でも昨日の出来事のように浮かび上がります。新宿のファミレスで朝まで始発電車を待ち、友人と悔しさを分かち合いました。これが僕の競馬人生、悔しさとともに最高の思い出レースです。
【凱旋門賞と日本】かつては競馬人のカレンダーは、日本ダービーに始まり日本ダービーに終わると言われていたし、そう生きてました。それが、カスケードの(架空の)挑戦で凱旋門賞を知り、中学時代のエルコンドルパサー(1999.10.3)、大学時代のハイライトであるディープインパクト(2006.10.1)、初のパリ現地観戦となるマカヒキ(2016.10.2)と、いつの間にか、1年間が凱旋門賞に始まり凱旋門賞に終わるというサイクルになってました。Top.10には挙げませんが、本番のみならず、日英ダービー馬のクビの上げ下げとなった キズナのニエル賞(2009.9.15)、仏オークス馬 サラフィナとの決め手比べになった ヒルノダムールのフォワ賞(2011.9.11)なんかも、人生のベスト30には入れたい名勝負です。いつか誰かが成し遂げてくれるじゃなくて、いまは自分がやるしかないと思っています。
第2位 人生最高の名勝負
2008.11. 2 天皇賞(秋)
ウオッカvsダイワスカーレット
重鎮・柏木集保をして、“日本の競馬史上、最大の名勝負…二度とこんなショーはない“と言わしめた。僕自身の25年の競馬歴でも、これ以上の名勝負はないです。ウオッカの64年ぶり日本ダービー制覇(2007.5.27)も感動したし、ダイワスカーレットの37年ぶり有馬記念制覇(2008.12.28)も大偉業、しかし、この2頭を語る上ではこれが1番のハイライトですね。当日は大学の競馬研究会の仲間と現地観戦、どっちが勝ったか分かりませんが、2頭の決着に感動の余り隣の友人に抱き付いたのを懐かしく思い出します。
【忘れ得ぬ名勝負】ここで、ベスト10に入れるか悩んだ名勝負もご紹介します。中学時代の メジロブライトvsシルクジャスティスの阪神大賞典(1998.3.22)、大学入ってからのシーザリオvsディアデラノビアvsエアメサイアのオークス(2005.5.22)、その10年後のリオンディーズvsエアスピネル 朝日杯FS(2015.12.20)。また、その2頭をねじ伏せた マカヒキvsリオンディーズvsエアスピネルの弥生賞(2016.3.6)も良かったですね。個人的に最強世代だと思ってる ヒルノダムールvsルーラーシップの若駒S(2010.1.23)、ペルーサvsヒルノダムールの若葉S(2010.3.20)、 この辺も悩みました。どれもベスト30だったら絶対に入れてる思い出の名勝負です。
・・・なお、ナリタブライアンvsマヤノトップガン、マヤノトップガンvsサクラローレルvsマーベラスサンデー、エアグルーヴvsバブルガムフェロー、この辺は僕自身がまだリアルタイムで見てなかったです。
第3位 Miraculous Victory blessed by God
2011.3.26 Dubai World Cup
ヴィクトワールピサ
“This is a great story for Japan” 、海外解説者の通り、震災直後の日本に訪れた奇跡の勝利。福島原発の状況が気になって30分おきに現地中継を見たりと、僕自身も悶々と寝れない日が続いていました。そんな3月、真夜中の奇跡。侍・M.デムーロの涙の馬上インタビューも良かった: “It’s unbelievable, unbelievable, , , this morning I wished to our good race to Japanese people over there. But take into believing in there, Dubai World Cup, it’s unbelievable. Thank you so much… I love you, Japan.” レース後に語ってた”backstretch“での進出(動画上は1:50)、リアルタイムに“あ、終わった”と思いましたが、彼自身の経験に導かれた体感に加え、競馬の神様の後押しもあったのかと思います。涙、涙、死ぬまで忘れられないレースです。
【日本馬の海外挑戦】日本馬の海外遠征には、フランス、ドバイのみならず力をもらってきました。特にベスト10に入れるか悩んだのが、ハーツクライvsハリケーンランvsエレクトロキューショニストのキングジョージ(2006.7.29)、フジテレビで中継してくれてたけどまじで痺れましたね。香港でのロードカナロア、モーリスの圧勝は気持ち良かったけど、ステイゴールドvsエクラールの香港ヴァーズ(2001.12.16)、サトノクラウンvsハイランドリールの香港ヴァーズ(2016.12.11)、日本vsゴドルフィンの対決も印象に残ってます。
第4位 日本近代競馬 史上最強馬
2005.1.22 若駒ステークス
ディープインパクト
ついに出た。受験勉強で眠っていた競馬への情熱に火をつけてくれた”衝撃の末脚“。カメラもっと引けって思うけど、”強い!強すぎる!!”の梶原実況がいいので、KBSの動画にしました。若駒S以外では、3コーナーから捲って、直線突き放した天皇賞(春)(2006.4.30)も、ベスト10には入れませんでしたが、ベスト20には絶対に入れたい物凄いレースでした。この馬は学生時代を捧げたのみならず、人生の目標も与えてくれた存在です。これからも永遠に神として崇めていきたいと思います。
【大逃げと追込】ここで、ベスト30くらいには入れたかった逃げ馬&追い込み馬&個性的な両刀馬(?)を振り返ります。僕の競馬歴で元祖・逃げ馬と言えばツインターボではなくサイレンススズカ世代なんですが、僕の元祖はセイウンスカイの菊花賞(1998.11.8)、これですね。ビートブラックとかクイーンスプマンテとか、基本的に逃げ切りって4角でガーンΣ( ̄ロ ̄lll) って感じですが、良き思い出としてはネコパンチの日経賞(2012.3.24)、アドマイヤベルナの三木特別(2011.6.4)かな。一方、追い込みで印象に残ってるのが、スイープトウショウのエリ女(2005.11.13)、ハープスターの新潟2歳(2013.8.25)、この辺です。珍レースとして名高い オルフェーヴルの阪神大賞典(2012.3.18)、これはベスト20なら入れてました。珍でなく神として、横山典の神業炸裂・ケンブリッジサンの安房特別(2014.4.5)も凄かった。最近だと、逃げから追い込みに転向したコパノキッキングの藤森S(2018.10.14)、WIN5を的中させてくれたサンライズノヴァのGCC(2018.10.8)なんかが記憶に新しい。こんな感じです。
第5位 星になった兄弟子
1999.7.11 宝塚記念
グラスワンダーvsスペシャルウィーク
このレースは、私的・第1次競馬ブームの中学時代、最も思い出に残るレースです。エル・グラ・スぺの黄金時代にあって、僕は圧倒的にグラスワンダー派でしたので。ただ、それ以上に人生のベストレースとして、大動脈瘤で突然死した兄弟子(**やん)を思い出す、大事な大事なレースでもあります。
エル・グラ・スぺは、いまでも初めて知り合う競馬ファンには聞いてる質問ですが、グラス派だった人とは馬が合うし、逆にスぺ派とは合わない、これは人間の好み・相性ともつながってるんだと思います。死んだ兄弟子と初めて知り合った二十歳のとき、このレースが人生最高のレースとして意気投合、現在のわが師匠と知り合う以前からの弟子ということで、兄弟子として慕っていました。内輪ネタですが、私が師匠から2番弟子と言われるのはこの偉大な兄弟子がいたから(兄弟子は、自分で買ったマンションのローンを競馬であっさり返済する筋の良さ)。そんな**やんが死んだのは、ジェンティルドンナの3冠の2012年。オークス(2012.5.20)の単勝30万円的中、これで焼き肉を奢ってもらったのが最後でした。このレースのみならず、グラスワンダー産駒、スクリーンヒーロー産駒を見ると思い出します。そして、今年はモーリス産駒の活躍で、また**やんを思い出す。**やん、本当にありがとう!
第6位 前馬未踏・永遠不滅のR 2.20.6
2018.11.25 ジャパンカップ
アーモンドアイ
2.20.6 LONGINES の時計が間違い、ロンジンやらかしたね、と確実に思いました。だって、1000m通過 59.9 を頭に入れてたし、極端に速くない流れ。ディープ&キンカメのダービーが2.23.3、前半58.8で流れたドゥラメンテの日本ダービーレコードが 2.23.2、タップダンスシチーの大逃げ 前半58.3からゼンノロブロイ・ハーツクライ・アルカセットが死闘の末 JCレコード 2.22.1、、、で、
12.9 – 10.8 – 12.2 – 12.3 – 11.7 – 11.8 – 11.7 – 11.4 – 11.4 – 11.0 – 11.4 – 12.0
12.9 – 23.7 – 35.9 – 48.2 – 59.9 – 1.11.7 – 1.23.4 – 1.34.8 – 1.46.2 – 1.57.2 – 2.08.6 – 2.20.6
目を疑うレースラップ。この場にいれて本当に良かった。この先この時計を破る馬は現れず、新聞には常にコースレコード 2.20.6 でしょう。おじいさんになった時、わしはこの時ここ(17番柱)にいたって語り継げる、凄い記録だと思います。
【歴代最強牝馬】アーモンドアイ、リスグラシューが登場するまで、歴代最強牝馬は、ブエナビスタか、ダイワスカーレットでした。来日した外国馬 スノーフェアリーも入れてもいいなら、以上の5頭が歴代最強牝馬5傑ですね。これに、エアグルーヴ、ジェンティルドンナ、ハープスター等が追う感じ。ウオッカは府中マイルでこそ無敵でしたが他場では脆さが目立ち、その次かな。スイープトウショウも嵌った時の破壊力は凄かったね。シーザリオ、レーヴディソールは、もっと現役での走りが見たかった。時期を見て、歴代最強牝馬ランキングもやりたいと思ってます。
第7位 競馬歴25年 僕の想う世界最強馬
2017.3.26 Dubai World Cup
アロゲート (Arrogate)
近代競馬250-300年 史上最強馬と言えば、ヨーロッパのシーバード、アメリカのセクレタリアト 等、映像で見れる範囲ではこの2頭かな。ただ僕がリアルタイムで観てきた25年では、この馬・アロゲートです。特に、このドバイワールドカップは強すぎて強すぎて、その強さだけで感動の涙が出るほど凄かった。GC・合田さんも感極まってましたね。
ちなみにアロゲートが出るまでは、2000年のドバイミレニアムが僕の中での世界最強でした。モンジューとの対決見たかった!!ドバイWCと言えば、インヴァソールやカーリンももの凄かったな。アメリカの無敗KYダービー馬・バーバロも、ドバイミレニアムに次ぐ世界最強番付 3位と思ってますが、無事だったら世界最強だったかも。レーティング世界一、無敗・フランケルも凄いけど、同世代のオルフェーヴルなら倒せたと思ってます。芝・ダート違えど、競馬はやっぱりアメリカが最強と思います。牝馬では、凱旋門賞連覇のトレヴ、エネイブルもそうですが、アメリカのゼニヤッタも強烈でしたね。世界は広い!!
第8位 この世界に誘われた男・藤田の一撃
1997.12.21 有馬記念
シルクジャスティス
競馬に誘ってくれた、記念すべき第一歩目のレースです。8歳でマキバオーを読み始めて、競馬中継を見始めて、10歳で東京競馬場に連れてってもらって、という時期は、まだレースも馬も記号に過ぎませんでした。このシルクジャスティスと藤田伸二に誘ってもらったようなもの。この日を境に、競馬を日々勉強、レース体系を学び、血統を学び、中学で競馬クラブを作り、・・・に買ってもらったり・・・とか・・・とか、ここでは書けないことも含め、どっぷり浸かることになりました。もう3コーナーからの実況は、そらで言えるほどです。
エアグルーヴか、マーベラスサンデーか、エアグルーヴか、マーベラスサンデーか、
シルクジャスティス!シルクジャスティス!!シルクジャスティス!!!
シルクジャスティスの末脚が炸裂したか!?シルクジャスティス!!
藤田の末脚がゴール前、わずかに強豪をおさえた感じがいたします。
藤田は左手を上げています。
第9位 新馬戦で泣いた最初で最後
2011.12.17 メイクデビュー阪神
ワールドエース
新馬戦で泣いたのは最初で最後のこと。父のような馬の誕生を期待して、ディープの子の新馬戦を見逃さずに見てきた2年目の冬。ついに出たR。そう感じさせてくれた瞬間でした。マイラーズCのレコード 1.31.4は同じディープ産駒 サングレーザーに破られはしましたが、騎手が福永じゃなければ中距離路線でもっと活躍できたと思ってます。
そう言えば、僕の中での最強ディープ産駒は、このワールドエースに加え、アドミラブル、オブセッションの3頭。アドミラブルは、3歳春の未勝利戦で1.45.8 (2017.3.5)、オブセッションはシクラメン賞(2017.12.2)で2歳レコード 1.45.6。ディープ産駒のほんとに凄い馬は、スポーツカーの搭載エンジンにボディが追いつかないんでしょう。まさに諸刃の剣の子供達。今年、コントレイル、アドマイヤビルゴがどこまでやってくれるかですね。
【衝撃の新馬戦】井崎先生が、ディープのデビュー戦が人生で1番衝撃受けたレースとか言ってましたが、新馬戦とはいつもそうしたどきどきを与えてくれるもの。ワールドエース以外で思い出す衝撃の新馬戦は、ラトルスネーク(2010.11.13)です。ベスト20ならランクインさせてました。それ以外だと、ペルーサ、サダムイダテン、レーヴディソール、カジノドライヴ、サクセスブロッケン、ジャスタウェイ、ブレイクランアウト、サトノアラジン、ウーマンズハート、思い出すのはこの辺ですかね。
第10位 踏み止まれた逆転の3連単的中
2007.12.23 有馬記念
マツリダゴッホ
3連単 800,880円 仕留めたり。月のバイト代のすべてを突っ込んではおけらになる、そんなクズの学生時代で、センスがない以前に自分は人としてどうなの?と感じていた時期でした。今はBIG BOYとなった中山競馬場横のロイヤルホストで、一晩、徹夜して予想。競馬研究会の仲間と考えに考え抜いて、ここは前残りの落ちが来る可能性と、空気読めない馬の波乱Vの可能性にたどり着いた。世界のYEBINA ありがとう!!人生の負けを全て獲り返した?かは分かりませんが、このレース以後、なんだかんだ年間で負けた年はないです(ま、今年が一番危険ですが)。これ以上の高額払戻もありましたが、ギャンブラー視点で言えば、大逆転・人生最高のレースと言えます。
次点 25年で外せない一族 エアグルーヴ
2015.4.19 皐月賞
ドゥラメンテ
この一族については、次点という扱いで1レース入れておきます。エアグルーヴの秋天、ルーラーシップの金鯱賞、スカイグルーヴの新馬戦など、想い出はいろいろですが、やっぱりドゥラメンテの皐月賞は凄かった。個人的には、ディープインパクト、オルフェーヴル、アーモンドアイと最強馬3頭を挙げたとすると、キングカメハメハと並び4番手くらいの位置づけです。
おまけ:ダートでの人生最高レース
2009.2.22 フェブラリーS
サクセスブロッケン
最後におまけ。どうしても芝のレースに偏りがちですが、ダートで1番の思い出はこれです。サクセスブロッケン、デビューの圧勝から応援してたので感慨深かったです。それに、下の写真が最高すぎる!!エスポワールシチー、カネヒキリ、カジノドライヴ、サクセスブロッケン、まさに名勝負でした。右から順に、種馬、種馬、種馬、誘導馬。
以上、僕の人生のベストレース10 & おまけ2レース でした!!
10年後の45歳、まだ元気に生きてたら、改めてランキングやりたいと思います!!
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